SNSが流行しはじめたのはいつだろうか?SNSを意識的に利用し始めた時期は日本人にとってはMIXIが最初だろうと思う。

今はすでに過疎化してしまった感の否めないMIXIだけど、その後はご存知の通りTwitter,FaceBook,Instagramと様々なSNSが流行し、多くの人々がSNSを活用している状況だ。

さて、私ももちろんSNSを利用しているユーザーの一人だが、昔ほどはSNSに関心が無い。大抵は新しいサービスが生まれて一年くらいは楽しく利用するのだが、時間が経過するにつれてどんどん利用しなくなってしまう。

利用しなくなる程度であればよいのだが、正直SNSが憎たらしく感じてくる。ぼんやりとFaceBookのタイムラインを眺めているとふとため息が漏れてしまうのは何故だろうか。

いつも実物以上の「盛り文化」

業務上、SNSを活用して集客に活かす方法などを伝えてきた歴史があるが、最近は正直気が進まない。効果が上がらないという訳では無いのだけれど、SNSの利用者が無意識的にどんどん病的になっているように感じる。

FaceBookで失笑した投稿の中に「先月ハマーを買いましたが今月はLexusを買います」といった内容の投稿が有った。羨ましい反面、ソレをアピールする心理にとても興味が湧いた。

人間の行動は常に「メリット・デメリット」をベースに取捨選択されているのであり、車を二ヶ月連続で買い替えた事をSNSでアピールする人にとってはメリットがデメリットを上回った状況と言える。

その具体的なメリットは欲望に直結しており、高級車を二ヶ月連続で購入可能な資本力のアピールだ。そして資本力をアピールする事で得られる対価は自己承認欲求を満たす事であるし、単純に異性からの「モテ」を期待している可能性も有る。

結局の所、高級車購入を投稿してしまう心理は欲望にまみれまくっているのだ。なんだかその欲望や欲求がダイレクトに飛び込んでくる度に、SNSは人々の心を病ませているのでは無いかと感じる。

自己承認欲求と人格障害

人格障害、最近ではパーソナリティ障害と呼ばれている病気が有る。例えば「サイコパス」という他者に対して共感性が無い人々も「パーソナリティ障害」の一種だ。

こと、一般的に目にする機会が多いのは「自己愛性人格障害」だろうか。特別な自分を称賛して欲しいという願望を元に生活している「自己愛性人格障害者」は自己の欲求を満たすためには簡単に他者を犠牲にする危険な人々だ。

SNSで「盛った投稿」をしてしまう人々には欲求が潜んでおり、男性や中年であればFaceBook、若い女性であればInstagramで「現実よりもちょっとアップグレードした自分」をアピールしてしまう背景には「自己愛性人格障害者」と同様の「承認欲求」が潜んでいるのでは無いかと感じる。

有名な経営者を見ていると「人格に問題あり」というタイプの人も非常に多く、自分の欲しいものを手に入れるためには他人を蹴落とすのが当たり前という価値観が世間的にも推奨されている様に思える。中には平気で価値の無いものを高値で売りつけ、法律には触れていないからと嘯く人々も事実多くいるのだ。

善意などは無意味で、比較と競争に勝利し、成功する事が絶対であるという価値観が高まれば高まるほど、病的な人格に対しての称賛が高まる。

このような「サディスティックで人格に問題が有る成功者」が増えれば増えるほど、それを追従していく人々は増えていく。

そしてSNSで行われる「盛る行為」はいかに物質的に自分が他者に対してリードしているかのアピールであり、もちろんそのアピールには確実にメリットが存在し、そのメリットは称賛により自己愛を満たす行為に他ならない。

私が見る限りSNSにおける文化圏は人格を破壊し、多くの人々を「自己愛性人格障害」に変えてしまう邪悪な魔法に見える。

若年層は特に心配

10代のツイッターユーザーを見ていると非常に「自己愛・自己承認欲求」についてストレートだ。

「ファボして下さい」「フォローして下さい」とまさにSNSの機能を「自己の数値化」として捉えているフシが有る。

こういった若者が増えていくという事は「自己愛・自己承認欲求のモンスター」が大量生産されてしまう可能性が有る。一部企業ではSNSのフォロワーが多いと就職に有利と聞いた。病んでいる。

本質的なその人物の価値とSNSのフォロワーの数は全く比例していない。それらが比例していると感じるのはただの錯覚である。確かに多くのユーザーに注目されているSNSアカウントは広告分野で充分に利用価値は有る。

しかし「VALU」の様なSNSのフォロワーの人数でその人の価値が決定してしまう様なサービスは人間の尊厳に対してあまりにも不躾に思う。

事実、バランス良く自己愛を満たし、自己を承認している人物に限ってSNSに対して非常に距離を置いている様に思える。

正直なところ、歪んだ自己承認欲求や自己認識を持たせないためにも、若者にはSNSを利用させない方が良いのでは無いだろうかと感じる。

全員がマウントを取りに行く世界

SNSを眺めていると結局の所「マウントを取りたい人々」の巣窟に思えてくる。「自分が誰かよりも魅力的な人物か」のアピールに多くの人々が必至だ。

「自分が誰かよりも優れている証明」にこだわりが強いと、自己愛性人格障害者の出来上がりでは無いだろうか。事実彼らは自分が他人よりも優れているという感覚を味わうためにはときに法律を犯し、モラルハラスメントに及ぶくらいには狂っている存在だ。

比較・競争は本来、健全な前進する力で有ったはずだ。しかしどうやら最近はギスギスしすぎている様に感じる。

全員が他者に対してマウンティングを行う世界なんてただの地獄でしかない。特別な人間は少人数だからこそ特別だったのだ。インターネット上の「特別な自分」は多くいるが、つまり本質を踏み外した人ばかりなのでは無いかと感じる。